久留米以南のJRは日本の鉄道輸送の将来を暗示するサンプルケース

JR鹿児島本線の博多口のダイヤが’18年3月の改正でリストラされ、日中は途中の久留米駅などですべて折返し福岡県を南端まで直通する列車が、消えました。

その改正以降に私が同区間を利用したのはせいぜい数往復です。
(今年・’20年に入ってからは一度も、というか鉄道そのものに日本国内では1乗車しかしていません。新型肺炎に罹らない自衛です。)
よって、生活で頻繁に乗られる地元のかたの分析や評価のほうがより精緻で的確なことを承知のうえで告白しますと、それほど違和感がないんですよね、短編成化には。

正直なところ、6両編成とか、昼間はもちろんラッシュ時の9両編成でも長い印象が個人的にありました。

名古屋口の東海道本線の新快速が8連ないし6連、大阪口は終日12連ですから、大都市圏の人口規模と比較して鹿児島本線の博多口、なかでも福岡近郊区間外の筑後地方の両数は、”大盤振舞い”です。
(博多では本州方面の新幹線も、16両の固定編成はピークのシーズンでなければ余計ですが、東京側の論理を押しつけられているゆえにつき事情がちがいます。)

大牟田駅から博多駅へ、夜の上り電車を私はたまに利用するのですが、福岡の都心からの帰宅客を乗せた帰りとはいえ、9両もつないだ長大編成が大牟田にて小倉方面へターンする様子にはオーバーサプライ、供給過剰な心証が否定できないのが素直な感情です。

しかしながら。

久留米より南を快速運転する列車が、輸送のピーク時ではないとはいえ日中はわずか2連というのは、なかなか衝撃的です。
6両が役不足だとしても3分の1にまで減らすか?、って話です。
しかも、1時間あたりこの1本のみです。

九州新幹線がつながる前までのJRは西鉄と並走する区間では、特急と快速だけでも毎時3本と1本、つまり平均して15分おきの博多駅へ速達するスジを引いて健全な競争をしていました。

いまや南の県境・大牟田駅へのアクセスは、昼間は(久留米か始発の鳥栖か、どちらかの駅で)乗換えが必要なうえ、快速運転する列車は2両編成の電車が1時間ごとに走るのが唯一なのです。

他の都市圏でたとえると、日中の東京口の東海道線(や分岐する湘南新宿ラインの系統)が小田原まで行かず全列車が茅ケ崎か平塚あたりで折りかえして、そこから西の区間は5両の電車――E233系3000番台やE231系の、付属編成をイメージしてみてください。――しか走っていないようなものです。
大阪口で置換えれば、新快速の電車がデータイムはすべて西明石どまりになって、西明石以西は姫路と岡山とを往復する運行体系が東に延長されるような感じでしょうか。
空想とはいえなかなかシュールなたとえに感じますか? でも、そう的外れな比喩でもないと思います。
(両例とも、新幹線も競合他社の路線も並行しています。もっとも、茅ケ崎や平塚は新幹線の停車駅ではありませんが。)

株主が幅を利かせる完全な公開会社になってまもないJR九州でさえ、このような大胆なサービスのスリム・ダウンをさっそく図るのです。
JRの他社、とりわけ九州から東の方角にある効率至上主義的な会社も(人口減からの)利用者の減少にあわせて同様のオプティマイズをいつか決行するのは自明ではないでしょうか。

以上が今回のエントリのメインとなるテーマですが、久留米から大牟田までのJR鹿児島線の輸送体系を直視して思うもうひとつのポイントは、新幹線が落とす影です。

1時間に3本もあった特急列車が、九州新幹線の全通で大牟田駅からはなくなりました。
(東京の都心と水戸や甲府とを結ぶ特急でさえ毎時2本のところ、3本もあったのです。)
新幹線の新大牟田駅は不便な位置にあるうえ、その料金も在来線の特急より割高です。
それでいて高速鉄道がもたらす時短のメリットは、新大牟田駅は博多駅からせいぜい6、70キロ程度の距離ですからさほどありません。

使いやすさが増していっている久留米駅とは対照的に、さくら号で山陽新幹線へ相互直通する利便性のほうも、新大牟田駅はほぼ皆無です。
いまや停まるのは毎時1本の博多-熊本間のつばめ号のほかは、大阪方面へは日に数本、例外的に設定されているだけだからです。
(なお、鹿児島方面へも数本です。)
新幹線の開通は、大牟田市をはじめとした筑後地方の沿線住民が望んだとおりの結果をもたらしているのでしょうか。

まさしく同様の危懼は、長崎本線の一部を占める佐賀県にあります。
(在来線の乗客の流れが新幹線と反対向きですが)福井県の嶺北地方も北陸新幹線の延伸によってそう遠くないうちに、確実にこうなります。(そのうえ、JR西日本は並行する在来線を経営から除外します。)
通過する沿線の地元のひとたちに不便を強いてまでこれ以上、路線網を拡げた先になにが見えますか。

久留米駅から南の系統分離と、大牟田駅における乗車機会の現状は――って、もはや消えたものなので物理的に可視はできないわけですが――人口の減少が明白な日本の将来の、都市圏の鉄道輸送、高速鉄道輸送のほころびやひずみが比較的わかりやすくにじみ出た、まさに象徴となっているケースのように思います。



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